24 4 月 2009 @ 11:51 AM 

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関西大学「あすかの庭」 もうすぐ4限目が始まる

それでは始めましょう。

このクラスの法学部の皆さんは3・4回生が多いのですよね。
リクルートスーツの女性が何人かいますね。
4回生の人は手を挙げてみて下さい。
ああそうですか、かなり多いですね。女性のリクルートスーツはパンツですか、スカートですか。やっぱりスカートが多いのですね。教室では、皆さんはパンツなのにね。やはり女性の正式な服装はスカートだと感じるのでしょうか。リクルートの調査によるとパンツスタイルは約4分の1だそうですが、合格した人の割合が4分の1になるのかどうかはわかりませんが。
さて、法学部は他学部に比べて保守的であるという話を聴いたことがありますか。そもそも大学というのは法学部からつくられていきます。関大の場合は明治19年(1886)関西法律学校としてスタートしました(2006年120周年)。国立大学も法学部からできていきます。それは国家統治をスムーズにするための少数の逸材を育成し、支配と統治機能のための知識とスキルを鍛えたのです。そんな法学部ではマイノリティやアンチ権力のことを視野に入れる科目などにあり得なかったわけです。また大学がこれほどに大衆化するなんて考えられもしなかった時代ですから、少数の支配者の統治権限を次世代に引き継ぐための育成機関だった訳です。東京大学は明治10年(1877)4月法・理・文と医学部を設置しました。日本の場合は法学部(法律家の養成)、医学部(医師の養成)の専門職を養成することが大きな役割でした。その権威に満ちた法学部に現在「法女性学」というフェミニズムのこういう科目が設けられているというのは、大きな時代の変化を感じます。女性学は、学部としてはもっとも新しい「社会学部」から産まれているケースが多いです。

世界で最も古いボローニャ大学

世界の大学をちょっと考えてみましょう。世界で一番古い大学はどこでしょうか。11世紀・12世紀頃イタリアの”Alma Mater Studiorum” (今のボローニャ大学1088年に開設)がそうだといわれています。1209年にイングランドのオックスフォード大学(同大学より1209年にケンブリッジ大学が誕生)、フランスのパリ大学、スコットランドのグラスゴー大学などです。この中世ヨーロッパにおいては神学部(キリスト教聖職者の養成)がスタートでした。

なぜヨーロッパの大学は神学部がスターとだったかというと、中世から近代へまたがる時期に起こることと関係があります。起こったとはいろいろありますが、その中でも悪名高いのは「魔女狩り」「魔女裁判」です。魔女だと汚名を着せられ、イタリア、スペイン、フランスなどヨーロッパ全域で何万人は知れず、殺害された女性たち(男性もいた)は、実は裁判という形式を踏んでいました。焼き殺され、水責めで、車引きで殺されるに先んじて、それを取り仕切った神官と法律学者がいたのです。中世から近代への移行には医学、薬学、工業化学などが大変革を遂げますが、それは女性が中世までの村で預言者的、医療者的役割を果たしていたその役割をしゃにむに奪い取ったということです。
それをやり遂げたのが中世の堕落した宗教であり、その意味で神学部に続いて創設される法学部の法学者が果たす欺瞞性には現在に通ずるものも感じます。いまでこそ「でっち上げ裁判もいいとこだ」とか「昔はひどかったのね」と済ますことはできるのでしょうが、中世キリスト教ローマ教会と法学者の犯した罪は深いものです。

「魔女裁判」を支えたもの

ミシュレの『魔女』(岩波文庫にあります)は有名です。シュレは言います。『「魔女」はローマ教会が産んだ深刻な絶望から生まれたのだ。『魔女』はローマ教会の犯した犯罪である」と。「化け物じみた思想的倒錯のために、中世は人間の生身の女性を、不純なものとして眺めていた。「聖処女」は「聖母」としてよりは、処女として称賛され、現実の女性の地位を高めるどころか、逆にその地位を低めてしまったのであり、その理由は、人々は純潔の問題をめぐっての煩瑣哲学の道に迷いこみ、ただやたらと末梢的ででたらめな議論にふけるだけのことになった。女性そのものも、さいごには、このおぞましい偏見を持ち、おのれを汚れたものだと思いこんでしまった。女はお産をするために身を隠すようになった。ひとに恋すると顔を赤らめ、人に幸福を授けると顔を赤らめるようになった。(略)・・・その女性がほとんど、存在すること、生きること、生活のさまざまの条件を果たすことに、ゆるしを乞うようになったのである。羞恥心のあまり、へりくだった殉教者となった女は、われとわが身に刑罰を加え、ついには、脳髄よりも三倍も神聖で、かつては礼拝の対象であったこの腹部をひとの目から隠し、もともとなかったもののように装い、ほとんど抹殺しようと欲するまでになったが、男性という神様は、この腹から生まれるのだし、永遠に生まれ返るのである」(文庫版 上巻p190~191)と。

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魔女を生きながら火あぶりにするヒルデリヒ王
(フランス年代記1492)

さらにミシュレはいいます。「ところが彼女たちは不屈の憐憫の情で、この宗教を養い、まだ生き続けさせたのである。しかしカの女性はなんという犠牲を払ったのだろう」と。魔女とは、「『女性』に固有の「精髄」とその気質が利用された。女性は「妖精」として生まれる。規則正しく反覆される気分の高揚をつうじて、女性はシビュラ(預言者)である。
愛によって、彼女は「女魔法使い」である。産婆であった女性は村の医者であった」と。ところが力強く活力ある宗教が、やがて失墜し、病に陥り、中世の暗黒に包まれるや、宗教に魅惑と後光とを与えた女性のすばらしさが魔女だというひと言ですべて、奪い尽くされた。ところが彼女たちは不屈の憐憫の情で、この宗教を養い、まだ生き続けさせたのである。しかし、かの女性はなんという犠牲を払ったのだろう」と。
つまり、焼き殺された魔女たちが宗教を読み返らせたといっているのです。
「こうした全ての宗教について、『女』は母であり、やさしい保護者でありまた忠実な乳母なのだ。神々も人間経ちと同じで、彼女の乳房で育てられ、そこに抱かれて死ぬのである」、ともいっています。

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魔女裁判の供述(アンヌ・マリー)からの絵
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薬草―伝統的な知識と魔法能力が混同され、植物のことをよく知って
いる村の女は魔女にされがちだった

私は、アメリカのフェミニスト研究者バーバラやディアドラなどとともに、女性の中世までの村での預言者的、医療者的役割が中世の堕落した宗教により、魔女にしたてられ、魔女裁判という欺瞞により、焼き殺されたのだと思います。
そしてミシュレが言うように、魔女とされて虐殺された女性たちの犠牲のおかげで、「堕落した、病に陥った宗教を生き伸びさせた」という主張に納得です。

『新しい魔女』狩りの時代をつくらないように

森島恒雄『魔女狩り』も重要な一冊です。『魔女狩り』はこう結んでいます。今後とも狂信と『新しい魔女』と政治と結びついたとき現出する世にも恐ろしい光景を、出現ささないようにしよう!と。森島恒雄『魔女狩り』にも、「この迷信と残虐の魔女旋風が、中世前期の暗黒時代においてではなく、合理主義とヒューマニズムの旗色あざやかなルネサンスの最盛期において吹きまくったということ、しかもこの旋風の目の中に立ってこれを煽り立てた人たちが、無知蒙昧な町民百姓ではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当代一流の大学者、裁判官、文化人であったということ、そしていまひとつ、魔女は久遠の昔から、どこの世界にもいたにもかかわらず、このような教会や国家その他の公的権威と権力とが全国的に網の目を張りめぐらしたこの上なく組織的な魔女裁判によって魔女狩りが行われたのはキリスト教国以外になく、かつこの時期(1600年をピークとする前後3,4世紀間)に限られていたこと、―これはきわめて特徴的な事実ではあるまいか。魔女裁判の本質は、結局、この「地域」と「時期」との関連の中にある(岩波新書p7)」。また結びのことばは「しかし、『新しい魔女』はこれからも創作され、新しい『魔女の槌』が書かれるかもしれない」になっている。今後とも狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景を、出現ささないようにしよう!という力強いメッセージが胸を打ちます。

もっと古い大学ではインドに遺る世界最古のナーランダ仏教大学(建学427年)がありますし、イスラム教の大学では現存する最も古い大学はアル=アズハルで、エジプト・カイロにあります。

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ナーランダ仏教大学を歩く僧侶

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アル=アズハル大学(エジプト・カイロ)

アル=アズハル・モスク(971年建立)に付属するイスラム神学校(マドラサ)アル=アズハル学院として988年に設立されました。アズハルとは「最も栄えある」の意味で、創立当初からの伝統で、イスラームの学問を志す者に対して、誰にでもいつでも門戸を開放するという趣旨から、入学随時、出欠席随意、修業年限なし、という3原則を守っていたということです。誰でもといっても女性は禁じられているというのは、イスラム教の女性差別に根ざしています。

私が実際訪れたイスラム教の大学では、トルコのコンヤはイスラム神学校が博物館になっています。
コンヤはトルコでも最も保守的な町といわれますが、イスラーム神秘主義(スーフィズム)の重要な巡礼地。イスラーム哲学・思想にも多大な影響を与えたメヴラーナの定住地で、その霊廟がメヴラーナ博物館となっています。デルヴィーシュ(イスラーム神秘主義僧)によるセマー(イスラーム神秘主義の回転舞踊)で有名です。
私たちは西洋文化だけから、大学の情報も確保しているのですが、宗教がキリスト教だけでないということでは、宗教に基盤をおく大学の発祥は、ボローニアだけではないのです。

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コンヤ・メブラーナ神学校

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メブラーナ旋回踊り

大学とフェミニズム

男性の視点から構築された既存の学問を、女性の視点からとらえ直そうとする新しい学問の登場は、やはり1970年代に、アメリカに待たねばなりません。性差別意識や男性中心の視点にとらわれた既存の学問のあり方を批判し、女性の視点から問い直す研究は女性解放運動と深い結びつきをもち、学際的性格をもちます。
「フェミニズムの風は西からふいてきた」といわれるように、カリフォルニア大学はフェミニズムのメッカといえるでしょう。ウーマンリブもメンズリブもカリフォルニアが発祥の地でした。1967年にフェミニストスタディーズの最初のコースが現れてから、今ではすべての大学でフェミニストスタディーズコースがあります。人類の半数を占める女性たちは、従来無視されてきた女性の視点から社会現象を分析し直そうとしたのです。男女平等社会を実現するために、フェミニストスタディーズ(ウーマンズスタディーズ、ジェンダースタディーズ・女性学)は、今や各論の時代を迎えている。政治に、教育に、労働に、起業に、まちづくりに、高齢社会のあり方に、アートに、音楽に、小説に、年金に、子育てに、性意識に、企業の社会的責任においても、です。

次回は、女性差別撤条約についてです。

学生の意見や反応
* 私はパンツスタイルのリクルートスーツです。これで合格しました!
* 昨年の受講生に勧められてとりました。女性に焦点を当てる講義が少ないので、とりました。
* 私は将来働き続けたいと思っています。周りの男性の友達は、結婚したら仕事を辞めて家事をしてほしいという人が多いのです。どうしたら女子絵が自立して社会に生きていけるのかヒントをほしいと思っています。

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Last Edit: 28 4 月 2009 @ 10 03 PM

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授業のはじめに   法女性学と自分の振り返り

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関西大学にて 4月10日(簡文館近辺:博物館、人権問題研究室)
傍らを「ほんとにきれいですね」と男子学生が通り過ぎていく

日本での女性学の講義のはじまりは1970年代の後半、お茶の水女子大学からだといわれています。私の場合は、京都精華大学(その頃は短期大学)の1981年からで、その後、同志社大学、関西大学、甲南女子大学、梅花女子短大で、関東では中央大学で2001年から2007年でした。なかでも関西大学が最も長くて、1985年から現在も続いています。そのなかで、関西大学での今年度で担当が最終になる「法女性学」の講義内容を振り返り記録にとどめておきたいと考えています。

最初は家族の問題

これだけ長くやっていますと「女性学」のなかでも様々な分野を担当したことになります。1980年代は「家族」でした。この場合は大学の科目では特殊講義という位置づけです。必須科目でないケースが追いのです。私の出版物では『世界の家族―女の居場所はやっぱり家庭なのか』(芸林書房)、『女と男の女性学』(柘植書房)があります。最初に著作に加えて頂いたのは『現代の婦人問題』(竹中恵美子著 創元社)で、その中では、家事労働論や主婦について書いています。1980 年代、この頃は国連女性の10年の運動の中で、スウェーデンやデンマークなどの北欧の女性たちの仕事も家庭も子育ても政治も平等があたりまえ、という発言や活動に衝撃を受けたショックがそのまま授業態度になっていました。世界を比較して日本の女性の実態を知るということでしょうか。国連の会議に出席していたNGOやNPOという活動を知ったのもそのころでした。

一般教育科目として約半数の大学に定着して

「女性学」は女性のエンパワメントにつながる理論武装という発想で始まったのですが、やがて女子学生も男子学生も広く人権学習の一環として知識を得る一般教養科目として定着していく1990年代を迎えますと、男子学生の受け止め方が授業の進め方を左右するようになります。「男を敵に回した学問なんてありえない!フェミニズム宗教だ」だなんて態度で、教師についても胡散臭いといわんばかりの目で見つめる集団が突出しますと、もうそれは授業は成り立ちません。

一般教育科目は、何人もの教員(当然男性が多い)のリレー講義で実施されますが、男性教員にとってはお荷物とも思える女性学を自分の生き方と重ね合わせて講義するというのは、そもそも不可能ですから、ますます女性学の質の低下を招きます。そこで男女ともに矛盾のるつぼになっている「性」のあり方というところで焦点を合わさざるを得なくなります。『ジェンダーとセクシュアリティ』(嵯峨野書院 共著)や『ジェンダーで学ぶ社会学』(世界思想社 共著)などはそのころの出版物です。


女性史(三代の女性史)を語る

歴史とは、男性による権力争奪という戦争の年史でしかない、といフェミニストからの問題提起があります。女性学をやるのに歴史を女性の視点から紐解かないわけにはいきません。第二次世界大戦後の歴史を作ってきた一人でもある私が、三代の女性の歴史を女性の視点から解釈してみようとたぐり寄せたのが『日本民衆と女性の歴史ー女たちの三代を語り継いで』(明石書店)です。これはとても好きな本です。B5版の2頁で一つの項目を語るという形式になっています。写真も豊富に入れました。でも大学の授業でというより最初は高校の副読本としてということだったのですが、書き手としては、その後の使われ方はよくわかりません。著者自身がコラム代わりにふんだんに登場しています。

ヌード絵画と女性学

これは未だまとまっていません。「女性と仕事ジャーナル」(金谷千慧子 発行)に書き綴っています。京都精華大学時代に藤枝澪子先生に励まされながら、世界のヌード絵画にみる女性の描かれ方研究会を続けてきました。なぜ女は描かれる側なのか、なぜ描き手は男ばかりなのか、なぜ女の描き手がいないのか、なぜ女は裸で、男は着衣なのか、宗教はなぜ女に被せものをつけさせるのか、性や文化、宗教や社会組織は、なぜ女性の生き方を狭め選択肢を少なくすることを以て社会発展としてきたのか。男だってそんなに自由を満喫していないよ、実際は、等という外れた議論はとりあえず置いておくとして、です。

働く権利は譲り渡すことができない

なんといっても私の心底、片時も離れないテーマは、「女性にとって、働く権利は譲り渡すことのできないものである」というものです。人口の半分が自分で食っていけないことを基本とする政策は、ホンモノではないし、改善の余地ありだと思います。
「働く権利は譲り渡すことができない」を前提として、どのような働き方をするか、どんな働く意味付けをするか、もちろん「勤務」だけない、アントレプレナなども含めてどんな仕事が可能かを、弾力的に、柔軟に、しかし譲れないところは譲らずに、選択し、創造していく時代をつくるのが最大の夢です。
「働く権利は譲り渡すことができない」に関わる出版は、多少多くありますね。均等法をめぐる攻防の時代に法律解釈を巡って論争をした共著で『女子労働論』『新女子労働論』(有斐閣選書)、『主婦の再就職ノート』(創元社)『女性のパートタイム労働―日本とヨーロッパの現状』(国際交流基金・新水社)『女の起業が世界を変える』(国際交流基金・啓文社)
等があります。挿絵もとても気にいっているのに『わたし・仕事・みらい』(嵯峨野書院)があります。これは多くの大学で、テキストに使って頂いたと聞いています。また中央大学出版部からの『企業を変える女性のキャリアマネージメント』『未来社会をつくる女性の経営マネージメント』の2冊は、未だまだこれからの私の現役人生と歩みを共にする本です。さて少し出版物の紹介が多かったかも知れませんが、自分をつくってきたもの、責任を持って生きている心髄のところは、はやはり著作に集約しているようにも思います。


おんなとおとこの女性学キャンパスセクシュアルジェンダーとセクシュアリティわたし仕事みらい現代の婦人問題女の起業が世界を変える女子労働論女性のパートタイム労働新女子労働論世界の家族日本の民衆と女性の歴史

次号からいよいよ「法女性学」の講義が始まります。

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Last Edit: 14 7 月 2009 @ 04 10 AM

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