サンフランシスコ報告 その3

サンフランシスココミュニティカレッジ、ダウンタウンキャンパス
SanFrancisco Community College Downtown Campus

今回は第3回目です。

09年9月スタディツアーでサンフランシスコに行きました。コミュニティカレッジ(San Francisco Community College Downtown Campus Oda’s class  and Culinary & Service Skill training Program)やNPOの保育園(C5 Children’s school)、ファッション専門学校(Fashion Institute of Design & Merchandising,  San Francisco Campus), NPOの資金確保のセミナー(Fund Raising Basic: Ms. Susan Fox)女性のための起業支援(Women’s Initiative fir Self-Employment)、国内DVと国際的な迫害を受けた女性の支援国際シンポジウム(Gender-Based Violence Conference) の参加やWomen’s Buildingでのアメリカと日本の女性とのミーテイングなどがありました。

レストランの宣伝写真(たばこを吸えるところもある)

レストランの宣伝写真(たばこを吸えるところもある)

1 同行の五十田光宏氏のSan Francisco Community College Downtown Campus感想

2009年10月22日号の堂島通信にスタディーツアーの感想を寄せておられる。

特に考えさせられたのは、サンフランシスコ・コミュニティーカレッジ・ダウンタウンキャンパスへの視察です。コミュニティーカレッジは、地域が支え、その地域の住民、税金を払って住んでいる人たち(さらに将来税金を払う移民)への高等教育及び生涯教育の場として設けられたものです。

 特に印象に残ったコミュニティーカレッジの下記のような特徴です。
 1.受講料は、無料または1講座3ドルからの低料金
 2.職業訓練を主とした編成(実践的な職業訓練プログラム)
 3.地域の人材ニーズに対応している

これらは、移民の人達のアメリカ社会に参画する最初のステップにつながり、さらに職種間の移動の障壁を低くすることへの役割を果たしています。
コミュニティーカレッジは、停滞する現在の日本社会の中で、女性・非正規労働者・若年層の雇用問題を解決するための一つのヒントになるのではないかと思いました。このスタディーツアーの参加を通じ私は、海外から日本の社会構造を客観的に見ることの大切さを痛感しました。

トレーニング中の学生Culinary & Service Skill training Program (ケーキクラス)

トレーニング中の学生Culinary & Service Skill training Program (ケーキクラス)

 

Oda’s class(コンピュータークラス・障害者用のコンピュータ)

Oda’s class(コンピュータークラス・障害者用のコンピュータ)

2 米国のコミュニティカレッジ

アメリカへ行くのにわざわざコミュニティカレッジの視察にいく人はそう多くないといわれる。あまりにもありふれた風景で、ことさら視察に来ることを想定もしていないようである。特に1970年代以降やり直しのできるコミュニティカレッジはアメリカの人材育成の基本となっていった。編入カリキュラムを持つ公立のコミュニティ・カレッジはアメリカでは重要な高等教育機関のひとつであり、たくさんの学生が通っている。

「コミュニティ・カレッジ」という名前の起源は、デンマークからの移民が、母国の成人のための社会教育の機関、市民大学(フォルケホイスコーレ、Folkehoejskole )を元に始めたものと言われている。デンマークのそれは、グルンドヴィという作家で政治家だった人が始めたもので、これは北欧からドイツ、イギリスなどのそれぞれ形態を若干変えて広まっている。デンマークのものは、学歴、資格は一切付与しないもので、教育制度の中の諸大学とは競合しないとてもユニークなものである。

アメリカ中にある約2000以上のコミュニティ・カレッジのほとんどは公立で1200万人以上がパートタイム・フルタイム学生として在籍している。コースは200以上ある。そのうち6~7割は仕事をしながらキャリアップや転職にむけて学んでいる。アフリカ系の47%、ヒスパニックの56%がコミュニティ・カレッジで学んでいる(2005年度)。全米コミュニティ・カレッジ協会の推定によれば新しく医療関係の仕事に就く人々の半分以上はコミュニティ・カレッジで学んだ人々であり、2003年度の時点では看護師資格試験の受験者の6割はコミュニティ・カレッジを卒業した人々であった。

竹中平蔵氏はコミュニティ・カレッジをセーフティーネットとして位置づけし、以下のように述べているが私も全くそう思っている。

『私はアメリカの社会には、日本にはないセーフティーネットがあると思います。コミュニティーカレッジのシステムはすごいと思う。あれはようするにセーフティーネットなんですね。1回失敗した人が、もう1回上に行ける仕組みです』

3 地方に労働の権限を移譲して、教育と雇用を同じ管轄にする

日本の今後は必ずコミュニティカレッジが必要だと思う。いままで日本ではそれがどうしてなかったのかは、
1)コミュニティの未成熟(地域自治体はあっても市民自らの連携は少なかった)
2)再就職や転職は女性のことであり、男性は終身雇用で生きられるので、社会的関心にならなかった。
3)教育は文部科学省、労働は厚生労働省に分かれていて、両省庁は融合されず、人生を通しての職業教育(キャリアトレーニング)の重要性は両省庁の狭間でこぼれてしまっていた。
4)女性を含むマイノリティーが仕事をして生きるという最も尊いことがないがしろにされてきた。

以上の背景は全て過去のことになってしまっている。                   

 

サンフランシスコ報告 その2

 今回は第2回目です。

スタディツアーでサンフランシスコに行きました。コミュニティカレッジ(San Francisco Community College Downtown Campus Oda’s class  and Culinary & Service Skill training Program)やNPOの保育園(C5 Children’s school)、Fashion Institute of Design & Merchandising,  San Francisco Campus), NPOの資金確保のセミナー(Fund Raising Basic: Ms. Susan Fox)女性のための起業支援(Women’s Initiative fir Self-Employment)、国内DVと国際的な迫害を受けた女性の支援国際シンポジウム(Gender-Based Violence Conference) の参加やWomen’s Buildingでのアメリカと日本の女性とのミーテイングなどがありました。

2 レインボー・フラッグ(Castro Town)

カストロ通りでは、男性同士でも女性同士でも、手をつないで幸せそうでした。勝ち誇って、というよりもやっと自由に歩けるという安心感にあふれていました。喫茶店のガラス窓の中から、手を振って写真に応じてくれたり、レインボーフラッグの下まできて、抱き合った女性のカップル。今まで辛いことが多かったのだろうなと思いました。

1)虹色は多様性

虹色は多様性

虹色は多様性

性的少数者とは、同性愛者、 両性愛者、半陰陽者(性同一性障害を含む)などが含まれます。

さきごろ南アフリカのキャスター・セメンや選手(18)の性別問題がありました。「医学的検査の結果、男性と女性の生殖器を持つ両性具有であることがわかった」と海外メディアが報道。世界陸上のように最高レベルの身体能力を持つ選手が集まる大会では、性分化疾患によって男性ホルモンが強く働いている女子選手が一般社会以上の割合で見つかるのは必然だといわれます。ベルリン世界陸上選手権女子800メートルで優勝したセメンヤ選手は、並はずれた競技能力と筋肉質の体格から性別を疑われた問題に、南ア政府は「彼女が黒人であり、欧州勢をしのぐ活躍をしたためだ」と声明を出し、国連人権委員会に申し立てる意向も示しました。セメンヤ選手の故郷は南アフリカ北東部にある小さな村。「プアレスト・プア(最貧地区)」として知られ、電気、水道などの整備も進んでいません。親族の一人は「女の子として生まれ、育ててきた。私たちの自慢の子なのに、何が問題なのか」と訴えているそうです。(毎日新聞10月7日)

2)ハーヴェイ・ミルクのこと

ハーヴェイ・ミルク(Harvey Bernard Milk48歳没)は、1978年11月27日、同僚議員のダン・ホワイトにより、ジョージ・マスコーニ市長とともに同市庁舎内で射殺されました。(前号メッセージ サンフランシスコ原稿その1)ゲイの地位向上に取り組んだ民主党市会議員です。映画にもなっています。主演のショーン・ペンがアカデミー主演男優賞を受賞した『カストロ通りの市長(The Mayor of Castro Street)』は、日本での公開は2009年GWのことでした。

3)HIVのポスター

サンフランシスコ空港からBART(Bay Area Rapid Transit)で、ホテルまで行きました。そのBART車内のHIVのポスターが下の写真です。サンフランシスコではケーブルカーも有名ですが、市電 (Trams) 、Muniバス、メトロ、Fラインなどで、市内であれば安価で($1.5)どこでも行くことができます。以前は観光バスに連れて行ってもらう旅でしたが、今回は便利な交通網で行き来しましたので.市内の位置がかなり理解できました。もちろん高速道路が無料なのは、20年前も同じでした。

HIVポスター

4)サンフランシスコHIV状況

サンフランシスコの15歳以上男性の5人に1人がゲイだそうです。世界の主要都市のなかで、人口に占める同性愛者の男性の割合が最も高いといわれます。同性愛男性は増加しており、4人に1人(25.8パーセント)がHIVに感染しているとみられるということです。推定1万6401人、HIV感染者の割合は5年前(2001年)を較べると少なくなってきているということですが、同性愛者のコミュニティが育ち、ここにHIVネガティヴの同性愛男性が大勢やってきました。かつて、HIVポジティヴの割合は、ほぼ30パーセント近くでしたが、HIVポジティブの男性の数自体は、じわじわと増加しています。それは、現在進行中の感染のせいでもあり、また治療を受けながら病気と共に生きる方法が改善されたおかげでもあるのです。HIVの検査や治療センターもサンフランシスコでは充実しています。なかなか困難な問題があるのですね。

サンフランシスコ報告 その1

女性と仕事研究所ではスタディツアーでサンフランシスコに行きました(09年9月7日~14日)。コミュニティカレッジ(San Francisco Community College Downtown Campus Oda’s class  and Culinary & Service Skill training Program)やNPOの保育園(C5 Children’s school)、Fashion Institute of Design & Merchandising,  San Francisco Campus), NPOの資金確保のセミナー(Fund Raising Basic: Ms. Susan Fox)女性のための起業支援(Women’s Initiative fir Self-Employment)、国内DVと国際的な迫害を受けた女性の支援国際シンポジウム(Gender-Based Violence Conference) の参加やWomen’s Buildingでのアメリカと日本の女性とのミーテイングなどがありました。その他市役所や美術館、世界遺産ヨセミテ国立公園へ行ったり,もちろんかの有名なケーブルにも乗りました。今回は5回に分けて報告します。

ゴールデンゲートブリッジ

ゴールデンゲートブリッジ(全長2737メートル)

1 サンフランシスコのまち

1) ケーブルカー

キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者のフランシスコを街の名に付けられました。ロスアンゼルスと共ににカリフォルニア経済、金融、工業の中心地です。サンフランシスコの人口は77万人ですが、対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は410万人にも上り、全米第12位の規模。更に南岸のサンノゼを加えたサンフランンシスコ・ベーエリア全体の人口は700万人で広域都市圏(CSA)として全米6番目の規模です。近代的なビルが建ち並び、シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。サンフランシスコの気候は地中海性気候で、一年中気温の差があまり無く、気候的にも住みやすい都市です。急な坂や深いに覆われることが多いことで有名です。

到着したホテルには、エアコンがなく、湯沸かしの設備もありませんでした。「まあなんてホテルなんだ」と言いそうになってわかったことがあります。

エアコンは必要なく、冬にはスティームがあるし、扇風機があるのでいいわけです。水は「世界一いい水です」とガイドさんがいう通り、そのまま飲めばいいのです。坂の多い街にはケーブルカーはお似合いです。私たちも乗りこみました。座ってからわかったのです。座席が詰まると、やおらカメラ片手のぶらさがり客が立ち並びました。名物風景ができあがります。私たちも視界の悪い中、ゆっくりゆっくり坂道を上下するカーブルカーにサンフランシスコを実感しました。

ケーブルカーは立ち見がベターです

ケーブルカーは立ち見がベターです

ユニオンスクエアー

ユニオンスクエアー

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霧のサンフランシスコ

2)サンフランシスコ市役所

ホテルの隣がシビックセンターで市役所の他、オペラハウスやアジア博物館やフリーマーケットが毎日大規模に行われていました。荘厳なドーム型の建物で、エントランスを抜けると巨大なロタンダ(丸天井の大広間)に出ます。アメリカで最も美しい建物の一つといわれています。この日はもうすぐシンホニィ・セレモニィが始まるということで宴席を準備していました。2Fのテラスでは数十組にもおよぶ牧師と新郎・新婦の結婚式をやっていました。簡単だなーという感じです。牧師が次々と移動していきます。

歴代市長の彫像もあり、ジョージ・マスコーニ市長のもありました。1978年11月27日、ジョージ・マスコーニ市長はハーベイ・ミルク(後述:自らゲイであることを明らかにして選ばれた市会議員)とともにこの市庁舎内で射殺されたのでした。

サンフランスシコ市庁舎

サンフランシスコ市庁舎

マスコーニ市長像(1929~78)

マスコーニ市長像(1929~78)

結婚式

結婚式

家族揃って

家族揃って

以上 次回に続きます。女性と仕事研究所代表 金谷千慧子

● 10月10日(土)PM1時~5時 大阪駅前第2ビル6F 大阪市立大学文化交流センター大セミナー室にて シンポジウムと交流のつどい「女性とNPO」を開催します。サンフランシスコの報告を参加者からいたします。現地でコーディネーターをしていただいたリップ智子さん(SF在住:女性の起業支援コンサルタント)からも「日米の女性の事業家について」の講演があります。ご参加をお待ちしています。

仕事に満足感が高いデンマークの人 先進国北欧諸国その2 デンマーク

最近の報道で、メルビン駐日デンマーク大使がエコサイクリングをしている姿に接した方もおありでしょう。コペンハーゲンで12月開催の国連の気候変動枠組み条約(第15回締約国会議:COP15)をアピールするため、全国9カ所でサイクリングツアーをしているのです。

COP15は京都議定書以後の2013年からの地球温暖化対策の枠組みを決める会議で、メルビン大使は「京都議定書の精神をデンマークに」という心意気で、行動しているのです。

本当にコペンハーゲンは自転車が多いです。パパとベビーカーも多いです。そして自転車もベビーカーも地下鉄でもスイスイとそのまま入ります。専用道路の幅も広いのです。エコのため車をやめて自転車にしようというのなら、自転車で走りやすい対策が必要ですね。パパの抱っこベルト、パパとベビーカーが多いのも、北欧の特徴だと思います。

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左:毎日新聞5/23馬場理沙 右:車中のパパ

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右:デンマーク:ニールセンさん ウイメンズ・カウンシル(Women's Council in Denmark) Women's Council in Denmark: Niels Hemmingsens Gade10 postboks1069 DK-1008K  右:どうぞと勧められた男女平等の飴

コペンハーゲンで最初に訪問したのは、ウィメンズ・カウンシル(Women’s Council in Denmark)のニールセンさん(Ms.Randi Theil Nielsen)です。

この団体は政府機関だと思っていたのですが、NGOだそうです。

「1980年、コペンハーゲンで行われた『国際女性会議』は私たちにとっても重要なものでした。北欧は5か国揃って『女性差別撤廃条約』を国連に提案し、私たちも”メインストリーム運動”(女性よ、中央へ出よう)を合い言葉に運動を進めました」。その後も北欧としてまとまって会議も続いています。男性とも男女平等についてよく話し合い、男性も育児休暇を取ろうという運動を展開しました。しかし北欧の中ではデンマークは、遅れていますね。ノルウェイやスウェーデンで進んでいるクオータ制(女性やマイノリティを積極的に登用する制度)については、デンマークでは逆差別になるという意見があって未だ取り入れていないのです」と、残念がっておられました。少子化を食い止めようとするなら、

1)まず、社会保障の質を向上させること、
2)それから保育所、
3)働く条件をよくすること、
とおっしゃっていました。

デンマーク人は仕事への満足感は世界で最も高い、といわれていますが、再就職・再挑戦への教育(無料)も充実しています。嫌々仕事するという人は少ないはずです。国の就業支援は整っており、その中のAMUという職業教育プログラムでは12業種、約3千種類のコースが用意され、受講期間は数日~数ヶ月です。このコースは企業などと作成し、雇用主が必要とする技能や知識を習得させ、終了後は即戦力として企業に迎えられやすいのです。

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右:デンマーク: レフシングさん コペンハーゲン大学学部長  Prof. Kirsten Lefsingさん University of Copenhagen Faculty of Humanities Njalsgate 80 2300 Copenhagen S 右:コペンハーゲン大学

日本のアイヌ語の研究で著名な教授です。

「高校生のとき仏教に興味を持ったのが始まりで、北海道でも東大でもアイヌ語の研究に没頭しました。勿論女性問題、フェミニズムには、人一倍興味を持っています。1980年の国際女性会議(NGO会議)がこの大学で行われたとき、私は参加していました」(私は、思わず「私も参加していたのです」、と)。「そうなんですか。会場でお目にかかっていたかも知れませんね」、とにっこり。

1970年代の北欧のフェミニズムの運動は、かなりのレベルだったので、少々のことでは後戻りはしませんね。政府が平等をつくったのではない、私たちがつくったのだ、という高い認識があります。しかし、私の二人の娘は、同じように平等を目指していますが、セクシュアリティなどの考え方が少し私たちの世代とは違うように感じます。それと労働市場への関心よりも個人の生活を大事にするという傾向があるように思います。この大学で、女性教授は30%、学部長では8人に2人しかいません。

香港大学で日本語で授業をしていたころの学生たちの日本女性に対する反応では、「日本女性は抑圧されている」「とても美しい」「強い人もいるがごく限られた分野である」などが多かったです。私は、日本女性はとても強いとは思います。ただがまんすることに強い(その意味ではデンマーク女性より強いかも)というよりも、もう少し発言することや行動することに強くなったら、もっといいのになーと思います。大学の構内で多くのベビーカーや妊娠中の女性を見かけたそうですが、本当にデンマーク全体でも、大学でも出産は増えています。 今後は中東の女性問題や移民や買売春の問題も含めて世界中でいっしょに関わっていかねばならないでしょうね。(日本語でお話いただきました)

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最後の夕べ。チボリ公園内のレストラン

次は第3回目です。