サンフランシスコ報告 その1

女性と仕事研究所ではスタディツアーでサンフランシスコに行きました(09年9月7日~14日)。コミュニティカレッジ(San Francisco Community College Downtown Campus Oda’s class  and Culinary & Service Skill training Program)やNPOの保育園(C5 Children’s school)、Fashion Institute of Design & Merchandising,  San Francisco Campus), NPOの資金確保のセミナー(Fund Raising Basic: Ms. Susan Fox)女性のための起業支援(Women’s Initiative fir Self-Employment)、国内DVと国際的な迫害を受けた女性の支援国際シンポジウム(Gender-Based Violence Conference) の参加やWomen’s Buildingでのアメリカと日本の女性とのミーテイングなどがありました。その他市役所や美術館、世界遺産ヨセミテ国立公園へ行ったり,もちろんかの有名なケーブルにも乗りました。今回は5回に分けて報告します。

ゴールデンゲートブリッジ

ゴールデンゲートブリッジ(全長2737メートル)

1 サンフランシスコのまち

1) ケーブルカー

キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者のフランシスコを街の名に付けられました。ロスアンゼルスと共ににカリフォルニア経済、金融、工業の中心地です。サンフランシスコの人口は77万人ですが、対岸のオークランドなどを含めた都市圏(MSA)の人口は410万人にも上り、全米第12位の規模。更に南岸のサンノゼを加えたサンフランンシスコ・ベーエリア全体の人口は700万人で広域都市圏(CSA)として全米6番目の規模です。近代的なビルが建ち並び、シリコンバレーやカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。サンフランシスコの気候は地中海性気候で、一年中気温の差があまり無く、気候的にも住みやすい都市です。急な坂や深いに覆われることが多いことで有名です。

到着したホテルには、エアコンがなく、湯沸かしの設備もありませんでした。「まあなんてホテルなんだ」と言いそうになってわかったことがあります。

エアコンは必要なく、冬にはスティームがあるし、扇風機があるのでいいわけです。水は「世界一いい水です」とガイドさんがいう通り、そのまま飲めばいいのです。坂の多い街にはケーブルカーはお似合いです。私たちも乗りこみました。座ってからわかったのです。座席が詰まると、やおらカメラ片手のぶらさがり客が立ち並びました。名物風景ができあがります。私たちも視界の悪い中、ゆっくりゆっくり坂道を上下するカーブルカーにサンフランシスコを実感しました。

ケーブルカーは立ち見がベターです

ケーブルカーは立ち見がベターです

ユニオンスクエアー

ユニオンスクエアー

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霧のサンフランシスコ

2)サンフランシスコ市役所

ホテルの隣がシビックセンターで市役所の他、オペラハウスやアジア博物館やフリーマーケットが毎日大規模に行われていました。荘厳なドーム型の建物で、エントランスを抜けると巨大なロタンダ(丸天井の大広間)に出ます。アメリカで最も美しい建物の一つといわれています。この日はもうすぐシンホニィ・セレモニィが始まるということで宴席を準備していました。2Fのテラスでは数十組にもおよぶ牧師と新郎・新婦の結婚式をやっていました。簡単だなーという感じです。牧師が次々と移動していきます。

歴代市長の彫像もあり、ジョージ・マスコーニ市長のもありました。1978年11月27日、ジョージ・マスコーニ市長はハーベイ・ミルク(後述:自らゲイであることを明らかにして選ばれた市会議員)とともにこの市庁舎内で射殺されたのでした。

サンフランスシコ市庁舎

サンフランシスコ市庁舎

マスコーニ市長像(1929~78)

マスコーニ市長像(1929~78)

結婚式

結婚式

家族揃って

家族揃って

以上 次回に続きます。女性と仕事研究所代表 金谷千慧子

● 10月10日(土)PM1時~5時 大阪駅前第2ビル6F 大阪市立大学文化交流センター大セミナー室にて シンポジウムと交流のつどい「女性とNPO」を開催します。サンフランシスコの報告を参加者からいたします。現地でコーディネーターをしていただいたリップ智子さん(SF在住:女性の起業支援コンサルタント)からも「日米の女性の事業家について」の講演があります。ご参加をお待ちしています。

仕事に満足感が高いデンマークの人 先進国北欧諸国その2 デンマーク

最近の報道で、メルビン駐日デンマーク大使がエコサイクリングをしている姿に接した方もおありでしょう。コペンハーゲンで12月開催の国連の気候変動枠組み条約(第15回締約国会議:COP15)をアピールするため、全国9カ所でサイクリングツアーをしているのです。

COP15は京都議定書以後の2013年からの地球温暖化対策の枠組みを決める会議で、メルビン大使は「京都議定書の精神をデンマークに」という心意気で、行動しているのです。

本当にコペンハーゲンは自転車が多いです。パパとベビーカーも多いです。そして自転車もベビーカーも地下鉄でもスイスイとそのまま入ります。専用道路の幅も広いのです。エコのため車をやめて自転車にしようというのなら、自転車で走りやすい対策が必要ですね。パパの抱っこベルト、パパとベビーカーが多いのも、北欧の特徴だと思います。

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左:毎日新聞5/23馬場理沙 右:車中のパパ

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右:デンマーク:ニールセンさん ウイメンズ・カウンシル(Women's Council in Denmark) Women's Council in Denmark: Niels Hemmingsens Gade10 postboks1069 DK-1008K  右:どうぞと勧められた男女平等の飴

コペンハーゲンで最初に訪問したのは、ウィメンズ・カウンシル(Women’s Council in Denmark)のニールセンさん(Ms.Randi Theil Nielsen)です。

この団体は政府機関だと思っていたのですが、NGOだそうです。

「1980年、コペンハーゲンで行われた『国際女性会議』は私たちにとっても重要なものでした。北欧は5か国揃って『女性差別撤廃条約』を国連に提案し、私たちも”メインストリーム運動”(女性よ、中央へ出よう)を合い言葉に運動を進めました」。その後も北欧としてまとまって会議も続いています。男性とも男女平等についてよく話し合い、男性も育児休暇を取ろうという運動を展開しました。しかし北欧の中ではデンマークは、遅れていますね。ノルウェイやスウェーデンで進んでいるクオータ制(女性やマイノリティを積極的に登用する制度)については、デンマークでは逆差別になるという意見があって未だ取り入れていないのです」と、残念がっておられました。少子化を食い止めようとするなら、

1)まず、社会保障の質を向上させること、
2)それから保育所、
3)働く条件をよくすること、
とおっしゃっていました。

デンマーク人は仕事への満足感は世界で最も高い、といわれていますが、再就職・再挑戦への教育(無料)も充実しています。嫌々仕事するという人は少ないはずです。国の就業支援は整っており、その中のAMUという職業教育プログラムでは12業種、約3千種類のコースが用意され、受講期間は数日~数ヶ月です。このコースは企業などと作成し、雇用主が必要とする技能や知識を習得させ、終了後は即戦力として企業に迎えられやすいのです。

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右:デンマーク: レフシングさん コペンハーゲン大学学部長  Prof. Kirsten Lefsingさん University of Copenhagen Faculty of Humanities Njalsgate 80 2300 Copenhagen S 右:コペンハーゲン大学

日本のアイヌ語の研究で著名な教授です。

「高校生のとき仏教に興味を持ったのが始まりで、北海道でも東大でもアイヌ語の研究に没頭しました。勿論女性問題、フェミニズムには、人一倍興味を持っています。1980年の国際女性会議(NGO会議)がこの大学で行われたとき、私は参加していました」(私は、思わず「私も参加していたのです」、と)。「そうなんですか。会場でお目にかかっていたかも知れませんね」、とにっこり。

1970年代の北欧のフェミニズムの運動は、かなりのレベルだったので、少々のことでは後戻りはしませんね。政府が平等をつくったのではない、私たちがつくったのだ、という高い認識があります。しかし、私の二人の娘は、同じように平等を目指していますが、セクシュアリティなどの考え方が少し私たちの世代とは違うように感じます。それと労働市場への関心よりも個人の生活を大事にするという傾向があるように思います。この大学で、女性教授は30%、学部長では8人に2人しかいません。

香港大学で日本語で授業をしていたころの学生たちの日本女性に対する反応では、「日本女性は抑圧されている」「とても美しい」「強い人もいるがごく限られた分野である」などが多かったです。私は、日本女性はとても強いとは思います。ただがまんすることに強い(その意味ではデンマーク女性より強いかも)というよりも、もう少し発言することや行動することに強くなったら、もっといいのになーと思います。大学の構内で多くのベビーカーや妊娠中の女性を見かけたそうですが、本当にデンマーク全体でも、大学でも出産は増えています。 今後は中東の女性問題や移民や買売春の問題も含めて世界中でいっしょに関わっていかねばならないでしょうね。(日本語でお話いただきました)

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最後の夕べ。チボリ公園内のレストラン

次は第3回目です。

北欧の空は真っ青でした先進国北欧諸国その1 スウェーデン編

インフルエンザなどすっかり忘れて、フィンランド(ヘルシンキ)、スウェーデン(ストックホルム)、デンマーク(コペンハーゲン)を歩き回りました。3カ国(3都市)について3回にわたって報告します。

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ヘルシンキ大聖堂にて

まず訪問先です。フィンランドでは、「Feminist Association Union」(NPO)と通訳もして頂いたパルムネン博子さんから(在住25年)「フィンランド女性事情」を聞きました。ヘルシンキからストックホルムへは9階建ての船(ちょっと変ですが)で一泊してストックホルムへ。ストックホルムからコペンハーゲンへは列車で白樺と葉の花畑が続く車窓を5時間かかって到着しました。

スウェーデンではジャーナリストのレベッカさん(Rebecka Edgren Alden)をMーマガジン社に訪問し、フェミニズムの第2世代の心意気を伺いました。「50歳からこそ女性の人生!、次の選挙にはFeminist Initiative党に頑張って欲しい」(社会労働党は大気や役割を果たしたけれど)などなど。その後は、グラフィックデザイナー、イーダ&ヨナさん夫妻をお家に訪ねました。パパのヨナさんが迎えに行った保育園児のシェーラちゃんにマックス君も加えてキャリアと家事・育児の話になりました。

デンマークでは、「Women’s council in Denmark」を訪問。ランディさん(Ms,Randi Theil Nielsen)に1970年代から21世紀、そして今後の女性の雇用問題や社会保障のお話を聞きました。午後はコペンハーゲン大学に人類学部長レフシングさん(Kirsten Refsing)を訪問。日本通の彼女からは、日本女性の今後の期待も含めてお話を伺いました。

スウェーデン:フェミニズム第3世代? シェーラちゃん

スウェーデンはやはり気になる国です。世界中の人々が格好のモデルないしは目標とする国だからです。特に男女平等の国としての地位は揺るぎないものがあります。教育、労働、賃金、家事育児などいずれをとっても、女性に対する差別や格差が世界で最も小さい国だからです。その典型例のようなカップルをストックホルムのご自宅に訪問しました。

グラフィックデザイナーとしてガムラスタン(旧市街地)で会社経営をしているイーダ(Ida Wessel37歳)&ヨナ(Jonas Wessel)さんは、8年前に起業に踏み切ったといいます。「子ども育てながら仕事をしやすいし、収入も充分だし」と広いアパートで自分たちの好きな作品に囲まれています。パパのヨナさんが迎えに行った保育園児のシェーラちゃんにマックス君の4人家族。家事の分担ではパパは、力が強いので洗濯や食事、妻のイーダさんは家計管理を担っているということ。会社経営でもどちらかというと経営方針やクリエイティビティはイーダさんの方が得意だという。「2人でうまくやるコツはお互いにエネルギーを出し合うけれど、ハーモニーを大切にして競争しないことだ」とヨナさんはいいます。

イーダさんは、「私たち2人とも親から大きなものを受け継いでいます。美術教師をしていた母親は、1970年代のフェミニズム運動の闘士でした。母たちが職場での闘争を頑張ってくれたおかげで、私たちの世代は、職場以外の場でも平等が保たれるようになりました。私はもっと平等が進むように、「Feninist Initiative」(後述*)党の応援をしています。私は党のマークをデザインしました」と語った。フェミニスト第三世代、まだおむつスタイルシェーラちゃん、少しも邪魔をしなかったけど冷静に両親の話を聞いていたようでした。

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シェーラちゃんとマックス君

ヨナ&イーダさん

ヨナ&イーダさん

スウェーデン:むしろ、「フェミニスト党*」を応援するレベッカさん(Rebecka Edgren Alden)37歳 M-マガジン社 編集部

雑誌M-マガジンは地下鉄の駅にもありました。とても売れているそうです。「50歳から女をやろう、これからこそ大事な人生だ」という意味があり、表紙を飾るのは雑誌社の創設者アメリアさんです。

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左がレベッカさん、右がM-マガジンのオフィス、下は表紙がアメリアさんのM-マガジン4月号と5月号

レベッカさんは09年3月、『家族生活と男女平等』(『SKRIET』)を出版。この本を頂いたのですが、「もっと売れると英語版にもなるのに」といわれるように読めなくて残念。 3人の子どもを育てながら家庭生活からもっと「ジェンダー平等Jamstalldhet」を進めようと訴える本です。イェムステルヘート:この言葉はスウェーデン独自のもので、英語のEquaityではなく,Gender Equalityを意味するものです。

「1970年代進めてきたフェミニズムの運動によって、私たちは育てられてきました。しかし家庭の中ではまだまだです。例えば両親休暇を50%ずつ取ったとしても、夫には「よくやるわね」とほめ言葉がもらえるのに、妻の方は、「手作りのパンを焼くとか、特別のことをしなければならないのかしら」と後ろめたさを感じるのです。意識の面まで変るのはなかなか困難です。そこを変えなければと、私は思うのです」といいます。

「政治のことでいえば、もちろん長年にわたって社会労働政権はよくやってきたし、おかげでスウェーデンの男女平等は進んだと思うけれど、あえて言えば、次の選挙では、「Feminist Initiative」(フェミニスト党)を応援します。私はその運動をやっています」とのことでした。(以上。次回はデンマーク編です)

法学部とフェミニズム 

関西大学「あすかの庭」 もうすぐ4限目が始まる

関西大学「あすかの庭」 もうすぐ4限目が始まる

それでは始めましょう。

このクラスの法学部の皆さんは3・4回生が多いのですよね。
リクルートスーツの女性が何人かいますね。
4回生の人は手を挙げてみて下さい。
ああそうですか、かなり多いですね。女性のリクルートスーツはパンツですか、スカートですか。やっぱりスカートが多いのですね。教室では、皆さんはパンツなのにね。やはり女性の正式な服装はスカートだと感じるのでしょうか。リクルートの調査によるとパンツスタイルは約4分の1だそうですが、合格した人の割合が4分の1になるのかどうかはわかりませんが。
さて、法学部は他学部に比べて保守的であるという話を聴いたことがありますか。そもそも大学というのは法学部からつくられていきます。

関大の場合は明治19年(1886)関西法律学校としてスタートしました(2006年120周年)。国立大学も法学部からできていきます。それは国家統治をスムーズにするための少数の逸材を育成し、支配と統治機能のための知識とスキルを鍛えたのです。そんな法学部ではマイノリティやアンチ権力のことを視野に入れる科目などにあり得なかったわけです。また大学がこれほどに大衆化するなんて考えられもしなかった時代ですから、少数の支配者の統治権限を次世代に引き継ぐための育成機関だった訳です。東京大学は明治10年(1877)4月法・理・文と医学部を設置しました。日本の場合は法学部(法律家の養成)、医学部(医師の養成)の専門職を養成することが大きな役割でした。その権威に満ちた法学部に現在「法女性学」というフェミニズムのこういう科目が設けられているというのは、大きな時代の変化を感じます。女性学は、学部としてはもっとも新しい「社会学部」から産まれているケースが多いです。

世界で最も古いボローニャ大学

世界の大学をちょっと考えてみましょう。世界で一番古い大学はどこでしょうか。11世紀・12世紀頃イタリアの”Alma Mater Studiorum” (今のボローニャ大学1088年に開設)がそうだといわれています。1209年にイングランドのオックスフォード大学(同大学より1209年にケンブリッジ大学が誕生)、フランスのパリ大学、スコットランドのグラスゴー大学などです。この中世ヨーロッパにおいては神学部(キリスト教聖職者の養成)がスタートでした。

なぜヨーロッパの大学は神学部がスターとだったかというと、中世から近代へまたがる時期に起こることと関係があります。起こったとはいろいろありますが、その中でも悪名高いのは「魔女狩り」「魔女裁判」です。魔女だと汚名を着せられ、イタリア、スペイン、フランスなどヨーロッパ全域で何万人は知れず、殺害された女性たち(男性もいた)は、実は裁判という形式を踏んでいました。焼き殺され、水責めで、車引きで殺されるに先んじて、それを取り仕切った神官と法律学者がいたのです。中世から近代への移行には医学、薬学、工業化学などが大変革を遂げますが、それは女性が中世までの村で預言者的、医療者的役割を果たしていたその役割をしゃにむに奪い取ったということです。
それをやり遂げたのが中世の堕落した宗教であり、その意味で神学部に続いて創設される法学部の法学者が果たす欺瞞性には現在に通ずるものも感じます。いまでこそ「でっち上げ裁判もいいとこだ」とか「昔はひどかったのね」と済ますことはできるのでしょうが、中世キリスト教ローマ教会と法学者の犯した罪は深いものです。

「魔女裁判」を支えたもの

ミシュレの『魔女』(岩波文庫にあります)は有名です。シュレは言います。『「魔女」はローマ教会が産んだ深刻な絶望から生まれたのだ。『魔女』はローマ教会の犯した犯罪である」と。「化け物じみた思想的倒錯のために、中世は人間の生身の女性を、不純なものとして眺めていた。「聖処女」は「聖母」としてよりは、処女として称賛され、現実の女性の地位を高めるどころか、逆にその地位を低めてしまったのであり、その理由は、人々は純潔の問題をめぐっての煩瑣哲学の道に迷いこみ、ただやたらと末梢的ででたらめな議論にふけるだけのことになった。女性そのものも、さいごには、このおぞましい偏見を持ち、おのれを汚れたものだと思いこんでしまった。女はお産をするために身を隠すようになった。ひとに恋すると顔を赤らめ、人に幸福を授けると顔を赤らめるようになった。(略)・・・その女性がほとんど、存在すること、生きること、生活のさまざまの条件を果たすことに、ゆるしを乞うようになったのである。羞恥心のあまり、へりくだった殉教者となった女は、われとわが身に刑罰を加え、ついには、脳髄よりも三倍も神聖で、かつては礼拝の対象であったこの腹部をひとの目から隠し、もともとなかったもののように装い、ほとんど抹殺しようと欲するまでになったが、男性という神様は、この腹から生まれるのだし、永遠に生まれ返るのである」(文庫版 上巻p190~191)と。

魔女を生きながら火あぶりにするヒルデリヒ王

魔女を生きながら火あぶりにするヒルデリヒ王 (フランス年代記1492)

さらにミシュレはいいます。「ところが彼女たちは不屈の憐憫の情で、この宗教を養い、まだ生き続けさせたのである。しかしカの女性はなんという犠牲を払ったのだろう」と。魔女とは、「『女性』に固有の「精髄」とその気質が利用された。女性は「妖精」として生まれる。規則正しく反覆される気分の高揚をつうじて、女性はシビュラ(預言者)である。
愛によって、彼女は「女魔法使い」である。産婆であった女性は村の医者であった」と。ところが力強く活力ある宗教が、やがて失墜し、病に陥り、中世の暗黒に包まれるや、宗教に魅惑と後光とを与えた女性のすばらしさが魔女だというひと言ですべて、奪い尽くされた。ところが彼女たちは不屈の憐憫の情で、この宗教を養い、まだ生き続けさせたのである。しかし、かの女性はなんという犠牲を払ったのだろう」と。
つまり、焼き殺された魔女たちが宗教を読み返らせたといっているのです。
「こうした全ての宗教について、『女』は母であり、やさしい保護者でありまた忠実な乳母なのだ。神々も人間経ちと同じで、彼女の乳房で育てられ、そこに抱かれて死ぬのである」、ともいっています。

魔女裁判の供述(アンヌ・マリー)からの絵

魔女裁判の供述(アンヌ・マリー)からの絵

薬草―伝統的な知識と魔法能力が混同され、植物のことをよく知って いる村の女は魔女にされがちだった

薬草―伝統的な知識と魔法能力が混同され、植物のことをよく知って いる村の女は魔女にされがちだった

私は、アメリカのフェミニスト研究者バーバラやディアドラなどとともに、女性の中世までの村での預言者的、医療者的役割が中世の堕落した宗教により、魔女にしたてられ、魔女裁判という欺瞞により、焼き殺されたのだと思います。
そしてミシュレが言うように、魔女とされて虐殺された女性たちの犠牲のおかげで、「堕落した、病に陥った宗教を生き伸びさせた」という主張に納得です。

『新しい魔女』狩りの時代をつくらないように

森島恒雄『魔女狩り』も重要な一冊です。『魔女狩り』はこう結んでいます。今後とも狂信と『新しい魔女』と政治と結びついたとき現出する世にも恐ろしい光景を、出現ささないようにしよう!と。

森島恒雄『魔女狩り』にも、「この迷信と残虐の魔女旋風が、中世前期の暗黒時代においてではなく、合理主義とヒューマニズムの旗色あざやかなルネサンスの最盛期において吹きまくったということ、しかもこの旋風の目の中に立ってこれを煽り立てた人たちが、無知蒙昧な町民百姓ではなく、歴代の法皇、国王、貴族、当代一流の大学者、裁判官、文化人であったということ、そしていまひとつ、魔女は久遠の昔から、どこの世界にもいたにもかかわらず、このような教会や国家その他の公的権威と権力とが全国的に網の目を張りめぐらしたこの上なく組織的な魔女裁判によって魔女狩りが行われたのはキリスト教国以外になく、かつこの時期(1600年をピークとする前後3,4世紀間)に限られていたこと、―これはきわめて特徴的な事実ではあるまいか。

魔女裁判の本質は、結局、この「地域」と「時期」との関連の中にある(岩波新書p7)」。また結びのことばは「しかし、『新しい魔女』はこれからも創作され、新しい『魔女の槌』が書かれるかもしれない」になっている。今後とも狂信と政治が結びついたときに現出する世にも恐ろしい光景を、出現ささないようにしよう!という力強いメッセージが胸を打ちます。

もっと古い大学ではインドに遺る世界最古のナーランダ仏教大学(建学427年)がありますし、イスラム教の大学では現存する最も古い大学はアル=アズハルで、エジプト・カイロにあります。

ナーランダ仏教大学を歩く僧侶

ナーランダ仏教大学を歩く僧侶

アル=アズハル大学(エジプト・カイロ)

アル=アズハル大学(エジプト・カイロ)

アル=アズハル・モスク(971年建立)に付属するイスラム神学校(マドラサ)アル=アズハル学院として988年に設立されました。アズハルとは「最も栄えある」の意味で、創立当初からの伝統で、イスラームの学問を志す者に対して、誰にでもいつでも門戸を開放するという趣旨から、入学随時、出欠席随意、修業年限なし、という3原則を守っていたということです。誰でもといっても女性は禁じられているというのは、イスラム教の女性差別に根ざしています。

私が実際訪れたイスラム教の大学では、トルコのコンヤはイスラム神学校が博物館になっています。
コンヤはトルコでも最も保守的な町といわれますが、イスラーム神秘主義(スーフィズム)の重要な巡礼地。イスラーム哲学・思想にも多大な影響を与えたメヴラーナの定住地で、その霊廟がメヴラーナ博物館となっています。デルヴィーシュ(イスラーム神秘主義僧)によるセマー(イスラーム神秘主義の回転舞踊)で有名です。
私たちは西洋文化だけから、大学の情報も確保しているのですが、宗教がキリスト教だけでないということでは、宗教に基盤をおく大学の発祥は、ボローニアだけではないのです。

コンヤ・メブラーナ神学校

コンヤ・メブラーナ神学校

メブラーナ旋回踊り

メブラーナ旋回踊り

大学とフェミニズム

男性の視点から構築された既存の学問を、女性の視点からとらえ直そうとする新しい学問の登場は、やはり1970年代に、アメリカに待たねばなりません。性差別意識や男性中心の視点にとらわれた既存の学問のあり方を批判し、女性の視点から問い直す研究は女性解放運動と深い結びつきをもち、学際的性格をもちます。
「フェミニズムの風は西からふいてきた」といわれるように、カリフォルニア大学はフェミニズムのメッカといえるでしょう。ウーマンリブもメンズリブもカリフォルニアが発祥の地でした。1967年にフェミニストスタディーズの最初のコースが現れてから、今ではすべての大学でフェミニストスタディーズコースがあります。人類の半数を占める女性たちは、従来無視されてきた女性の視点から社会現象を分析し直そうとしたのです。男女平等社会を実現するために、フェミニストスタディーズ(ウーマンズスタディーズ、ジェンダースタディーズ・女性学)は、今や各論の時代を迎えている。政治に、教育に、労働に、起業に、まちづくりに、高齢社会のあり方に、アートに、音楽に、小説に、年金に、子育てに、性意識に、企業の社会的責任においても、です。

次回は、女性差別撤条約についてです。

学生の意見や反応
* 私はパンツスタイルのリクルートスーツです。これで合格しました!
* 昨年の受講生に勧められてとりました。女性に焦点を当てる講義が少ないので、とりました。
* 私は将来働き続けたいと思っています。周りの男性の友達は、結婚したら仕事を辞めて家事をしてほしいという人が多いのです。どうしたら女子絵が自立して社会に生きていけるのかヒントをほしいと思っています。