月単位のアーカイブ: 8月 2010

中欧の旅 ⑥ 退職カップルのツアーに紛れ込んでー現在夫婦事情

今回のツアーは10組のカップルと母娘3組、家族1組、その他友人同士、一人参加7人という大所帯であった。多数派は退職後のカップルで、ヨーロッパツアーの典型的な参加状況かもしれない。何度も「お一人ですか」と聴かれるので、なぜ聴くのですかとたずねると「旅慣れていらっしゃる」とか「自信があるのですね」とか「私も一人でこれるかもしれないと思いました」とおっしゃった。「お父さん、お薬よ」「お父さん、ここで写して」などなど、指示を出しながらも、飛行機もバスも食事も買い物もすべてぴったりと寄り添ってとても和やかな光景。団塊の世代の企業からの退出で、今回は「へそくり」からでなく、お父さんの出費で、お父さん連れで参加していらっしゃるようだ。

パートで働いているお母さんも半分。お父さんは「老後は“これに”任せていますので、何の心配もありません」とか「うるさくて、うるさくて」とか「水、3本買ってこい」とか、日常生活そのままである。なにしろヨーロッパも気候変動で熱波の夏、バスに積み込まれた水は必需品。それでも一度たりともお父さんが運転手に1ユーロを持って水を求めにきたことはなかった。母娘3組の2人は仕事をしていて、「姉たちのような結婚はしたくない。親と同居で浮いたお金で海外旅行をしたい」とか「一人暮らしをしたい。でも無理」、「仕事を辞めたところです。後のことはまだ考えていません。旅行にも行けない仕事なんて」といっていた。

未婚のカップルがいた。いつもぴたっと手を握りあって、この暑さにもトイレで分かれる以外はいつも堂々の握りしめカップルだった。一人参加の男性が「僕もしてほしいわ」と半ばセクハラ発言を繰り返している。彼女は「子どもができても働き続けたい。親も姉もスタンバイしてくれているので大丈夫!」と言った。旅の終わりに旅行社(添乗員)がこのカップルに「幸せになってください」とお祝いの品を渡した。私もこのカップルに期待したいと切に思った。

近くの保養所へ行く二人(ウィーンで)

近くの保養所へ行く二人(ウィーンで)

ブタペスト郊外のガソリンスタンドで。1箱、円では半分の額

ブタペスト郊外のガソリンスタンドで。1箱、円では半分の額

中欧の旅 ⑤ ドナウの真珠― クルーズ

ハンガリー人の黒髪、黒い瞳は欧州で唯一のアジア系民族(マジャール人)を表しています。日本人などと共通で赤ん坊に蒙古斑があるということです。ハンガリーはヨーロッパのほぼ中央、ドナウ川中流に盆地状に開けた平原ですが、繰り返しヨーロッパに侵入したアジア系遊牧民やスラブ人などの周辺民族やオーストリア・オスマン帝国などの周辺諸国の影響を受けてきました。そして、異民族との攻防には、波乱に富んだ圧政と反抗の歴史が刻まれています。首都ブタベストは、「ドナウの真珠」と呼ばれ、ドナウをはさんで、西が歴史の街「ブダ」(畑)、東が近代的な商業地区「べスト」(かまど)をつないだのが鎖橋(くさりばし)です。続いて皇女マルガリーテで有名なマルガリーテ橋があります。ブタベストは、ユネスコの世界遺産にも指定され、世界で最も美しい首都の一つといわれています。ローマ時代の遺跡、ロマネスク様式の教会、古城が、数多く全国に残されています。

社会主義圏にあっては、いち早く民主化を進め、東欧革命の芽を蒔きました。以前(2006年)訪れた時は、大学人や労働組合の人が、失業が深刻で自由主義経済をどう受け止めていけばいいのかと深刻な顔つきでした。でも今回ブタベストの街は活気にあふれ、足早に駆け回った広いショッピングモールでしたが、Sailの値札の下、夜9時までレジを待つ人の行列でした。

夜ツアーを離れてクルーズに出かけました。なかなか夜の帳が降りず、9時近くに涼しい夜風とともにドナウ川を遊覧しました。この旅で一番心癒やされた時間滞だったかもしれません。「“100万ドルの香港”とは違うなー、けど落ち着くなー、この色合いは」と隣の日本人客が言っていました。

ドナウクルーズくさり橋

ドナウクルーズくさり橋

王宮を見る

王宮を見る

中欧の旅 ④ Death Camp―アウシュビッツ

あれから70年の間に

あれから70年の間に

ポーランドのみならず、ヨーロッパにはこんなに多くの教会があり、「汝の敵を愛せよ」と祈りを捧げてきた人たちが、民族殲滅をモットーに、かくも残忍に人間を殺戮し続けることをどうして阻止できなかったのだろうか。ガス室、焼却炉、銃殺の壁、公開絞首刑の場、丸坊主にして殺害された女性たちの人毛約2トン、人毛で織られた毛布、約40キロの眼鏡、約460本の義手や義足、8万足以上の靴(子どもの靴も多い、これで20分の1とか)などなどがほんものの力で押し寄せてくる。アウシュビッツは人類にとって暴力的抑圧、虐殺、ホロコーストの象徴となったユネスコの負の世界遺産である。アウシュビッツ強制収容所(英語ではDeathCampとある。この方が適切である)は第2次世界大戦中、1940年ドイツ軍によって占領されていたポーランドのオシフィエンチムの郊外に、ヒットラーのナチスによって作られた。オシフィエンチムの町の名は、アウシュビッツに変えられ、同時に強制収容所の名前になった。

アウシュビッツ2号・ビルケナウ収容所

はじめはポーランド人の政治犯を収容するためにつくられたがが、しだいにカソリック教徒や神父、ロマ、ソ連軍捕虜も収容され、1942年からはヨーロッパにおけるユダヤ人絶滅センターとなった。ユダヤ人は、性別・年齢・職業・国籍、政治思想を問わず“ユダヤ人”であるという理由だけで殺戮された。新しく連行されてきたユダヤ人は、ゲシュタボの選別で労働に適さないとされ、ガス(チクロンB)室で衣服を脱がされ毒殺された。かれらは囚人として登録されることもなく、囚人としての番号もつけられなかった。そして隣の焼却炉で灰になった。それらの作業は働けると識別された囚人の仕事である。彼らの労働で強制収容所は拡張され、第1アウシュビッツ強制収容所、第2アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(こちらの方が残酷、アムステルダムで捕らえられたアンネ・フランクもここで死んだ)、第3アウシュビッツ・モノヴィツ強制収容所という3つの大規模施設と40を超す小規模収容所を構成するに至った。これらの施設は労働に耐えられると選別され、ガス室へ送られなかった(まさにArbeit machat frei)囚人の強制労働によって整備されていった。

「囚人」、この言葉は魔法である。何の罪もない人に「囚人」と名付け、「囚人服」(薄くて寒かった)を着せたとたんに、殺すこと、殺されることに抵抗できなくなる不思議、灰にされてしまった人の衣類や鞄、所持品やホーローの粗末な食器まで、すべての所持品を選別して本国へ輸送する。今きた車両に積み込む作業もするのも「囚人」である不思議。さらにはヒットラーが選挙で選ばれた総督だという不思議も・・・何とも納得はいかない。

収容所内部

収容所内部

 アウシュビッツにはたった一人の日本人の日本語ガイドがいる。名前を中谷剛さんという。中谷剛さんは難関のポーランド語による試験を突破して1997年からこの博物館のガイドをしている。中西氏は最初に、「皆様にそよ風を運んでいるこの大木の並木道、この樹木は65年を経て大木になりました。両側の赤い煉瓦作りの収容所に映えて、一見大学などとよく似た風景に見えるかもしれません」。「65年前、沼地だったここで、囚人たちが水につかりながら飲まず食わずの重労働で、基礎工事に煉瓦積み、苗木を植えたのが今の姿なのです」と。「今から約3時間かかります。気分が悪いとおっしゃる方もあります。でも何かを感じてほしいのです。これからの日本人にとってとても重要な平和への手がかりがあると思うからです」とも。中谷氏の「私は一人の人間として少しでも平和に貢献できたらと思ってやっています」という真摯なかたち口にホントに心打たれた。アウシュビッツへ行かれる場合:中谷氏には要予約  FAX48-33844-0311E-mail nakatani@wp.pl

アウシュビッツ第1収容所

アウシュビッツ第1収容所

中欧の旅 ③ マリオネットに込められた願いー魔女は健在でした

お店の前で「まあ美しい!」

お店の前で「まあ美しい!」

チェコの伝統芸能マリオネットは有名である。国立マリオネット劇場はその日も公演していたのだが、時間に間に合わずいけなかった。大人料金で2000円程度、プラハだけでも50以上の劇場があり、それぞれ各地方都市それぞれに、劇場や劇団を持っている。午後8時からでどこの劇場も毎日満員の状態。残念だった!

カレル通りの「王の道マリオネット劇場」

カレル通りの「王の道マリオネット劇場」

それぞれの公立人形劇場では、公的資金として1億4・5000万円~2億円ぐらいの予算が国から出ていて50人ぐらいで運営しているそうである。チェコの人形劇はイタリア方面の旅芸人が持ち込んだものだが、18~19世紀ハプスブルグ家の支配を受けていたころドイツ語使用が強制され、その抵抗として人形劇ではチェコ語を通したのだそうだ。民族復興運動とともに知識人や芸術家の支援もあり、スメタナやドボルザークも人形劇のために曲を書いていている。

劇場入り口、今日の出し物も「ドン・ジョバンニ」

劇場入り口、今日の出し物も「ドン・ジョバンニ」

「チェコ国立芸術アカデミー」(芸術大学)には人形劇学部があり、人形劇を専門に勉強することができる。卒業後は劇場や劇団で活躍する将来設計が可能であるという。それを知ってやっとわかったのが、ロンドンで、芸術大学の日本人女子学生が、プラハの人形劇に出会って、専攻を変えようか迷っているという話を聞いたことである。「わざわざどうして?」なんて思ってしまっていたが、はじめて理解できた。

プラハの街では、あらゆるマリオネットを陳列しているお店や土産物やさんもあり、カレル橋では人形を操っているおじさんもいる。また多くの大道芸人が自分の芸を磨いていて、彼らはそれで食べていける程度に収益もあるのだという。

マリオネットを売っているお店には、魔女のマリオネットもいた。魔女が集積しているお店もあった。「うちはハンドメイドなんだ。手を叩くと目が光って声を出すんだ」と自慢しているおじさんからあまり気高い顔つきではない魔女を買った。私が求めている凛とした魔女ではないのでやはりあまり気に入っていない。

プラハ旧市街の旧市庁舎の天文時計 毎時に仕掛けが動く、上の小窓から鶏が顔を出す、集まった観光客から一斉に拍手がわく

プラハ旧市街の旧市庁舎の天文時計 毎時に仕掛けが動く、上の小窓から鶏が顔を出す、集まった観光客から一斉に拍手がわく