女性と仕事研究所、自慢のセミナー「キャリアアドバイザー養成講座」は、次年度ぐらいまで、ひとまず休止とさせていただきます。東京会場も大阪会場もです。
2007年度からにつきましては、もう少し事業計画を練り上げて、さらに中央職業能力開発協会など国レベルのキャリアコンサルタント等の検定試験の実施可能性もにらみながら、改めて検討していく所存です。
今までに「キャリアアドバイザー養成講座」を受講、修了していただいたみなさまには、これからも変わらず、密接に連絡をとりながら、21世紀の職業支援のプロとして活躍していただけますよう、女性と仕事研究所が出来ることはバックアップいたします。
もうすぐ新しい年です。2007年が、みなさまにとって、明るく、飛躍的な年でありますようお祈りしております。
特定非営利活動法人女性と仕事研究所代表 金谷千慧子
2006年12月11日
女性のネットワークに「自転車」と「ラジオ」
衆・参議院議長の招待で来日されたモンゲーラさんが女性問題で活躍しているNPOに会いたいということで声をかけていただき、特定非営利活動法人かながわ・女のスペース“みずら”と日本女性法律家協会、そして女性と仕事研究所が懇談会に招かれました。私がモンゲーラさんにお目にかかったのは、これまで3回ありました。最初は1985年の国際女性世界会議ナイロビ大会のコーディネーターとしてまばゆいばかりの壇上の人として。第2回は1995年北京大会で、またもや壇上の人として。そして第3回は昨年ソウルでの「Women’s World 2005」では主賓席にいらっしゃって、基調講演を聴きました。全アフリカ議長になられたということを知りました。ソウルの梨花女子大の名誉教授の称号も受けられました。第3回目だけは近くでお話しました。お目にかかったのは、10年毎ということになります。
私の場合、1985年のナイロビ会議(NGOフォーラム)から戻るやすぐに女性の再就職支援活動を始めました。1995年の北京会議以降は、女性の就業支援のプロの育成(支援する人の支援)という活動を始めました。そして2005年ぐらいから今まで、次の方向性がまだ出せずにいます。これからの時代に、女性のチャレンジ支援策(再、上への、横への)はますます重要になると確信していますが。
モンゲーラさんは、『私も支援する人の支援をやっていますが、女性のネットワークには「自転車」と「ラジオ」が有効よ』と私の顔を見ながらおっしゃいました。女性のニーズにマッチしていて、簡便で効果的ということなのでしょう。私たちにとって、「自転車」と「ラジオ」はなんだろうかと、今考えているところです。女性の性器切除をやめさせた「母たちの村」の映画もラジオが大きな役割を果たしていました。

ゲートルード・モンゲーラさん

モンゲーラさんと握手する筆者 写真は「参議院国際交流課」06年10月13日
引き続きアンケート(HP)へのご協力をお願いいたします。
「女性の就業支援に関する男女共同参画センターの評価(A~E)」調査
全国の男女共同参画(女性)センター250カ所へ依頼。06年8月1~10日までにFAXで回答頂いた。
回収は77通.308%。調査項目(Q1~Q7)の分析の%表示は少数第2位を四捨五入した。
1 回答者の7割近くが自治体職員でした。館長や非常勤専門職員から少なかったです。
2 今後はもっと多岐にわたって女性の自律支援をしたいと考えています。
現在やっている事業は、多い順に「再就職支援」「起業支援」「働く女性のキャリアアップ」です。
今後やりたい事業では、多い順序では上記3つは同じですが、「チャレンジ支援相談」「就業(キャリア)カウンセリング」「若年中高生のキャリア支援」「シングルマザーの就業支援」が増えてきます。
3 女性の就業支援実施へのな困難には「予算が少ない」4割、「専門家がいない」22%、「働く(働きたい)女性とのコンタクトがとれない」18%です。
4 男女共同参画センターの評価では、D(まだまだよくない)が45.5%、B(まあまよい方)が27.3%です。
Q6「あなたの関わっている男女共同参画センターの『女性の就業支援』『雇用に関する男女平等』事業はA~Eのどのレベルだと思いますか」は、以下に表示します。


2006年8月26日、国立女性教育会館(ヌエック)で、このアンケート結果を ワークショップ参加者と分析している様子。
神田の岩波ホールで『母たちの村』を観た。「アフリカ映画の父」といわれるウスマン・センベーヌ監督は「伝統的であろうが、近代的(衛生的)であろうが、どんな方法であれ、女性性器の切除(割礼)ということは、女性の尊厳や誇りを傷つけるものです。この古き風習を廃止するために戦った母たちへ、この映画を捧げます」といっている。
女児の性器切除という土着の習慣は、アフリカやアラブの多数の国で、1970年代まで封印されてきた事実であった。私自身も1980年・デンマークでの第2回世界女性会議ではじめて知って仰天した。85年の第3回のナイロビ大会では、アフリカ全土にわたって、この施術は「よくない」と結論がでた、という報告があった。しかし、しかし…。イスラム文化圏固有の習慣を西側諸国のフェミズムの圧力でやめられるものではないという意見が大勢であった。まだまだ40カ国あまり900万人もの女性が、一生続く痛みに耐えながら暮らしているのに。お金もなく、ものをいう力もなく…。
映画では、村の幼い少女たちが4人、森へ連れて行かれて、割礼(汚れを浄める儀式)を強制されようとして、「コレ」のところへ逃げてきたところから始まる。コレは第2夫人。自分の苦しみを娘にはさせまいと施術を拒絶して娘は適齢期を迎えている。
「コレ」は、ラジオを通して性器切除をやらなくても結婚できると知る。女たちの友だちはラジオ。情報は女たちから流れ、広がる。しかし村の長老たちは、ラジオこそ、女たちが掟を破るもとになっているとラジオの没収と焼き討ちを決議し実行する。火がつけれ、ラジオの黒い煙がくゆる。その炎に、コレが割礼師たち(女性)から手を離させた不衛生なナイフがくべられる。鞭打ちの拷問に耐えたコレと女性たちの歌声が大きくなる。
女性たちはすばらしい
女性たちは生命を育む
女性たちに敬意捧げよう
アフリカの赤い大地、女性たちの野太い歌声、疲れを知らない踊り、その背中にカンガにくるまれた赤ん坊がいた。
私が「主婦の再就職センター」という行動を開始したのは、ケニアから帰った直後1985年のことだった。
