関西の企業で働く「キャリア女性インタビューNO.5」~関西ウーマン同時公開!~

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山元 由江さん
帝人株式会社 高機能繊維事業本部 営業部門 インフラ・インダストリ部 インフラ・エネルギー課
1994年 帝人株式会社入社 繊維研究所に配属され、繊維素材を用いた商品開発を担当。特に耐熱繊維を用いた消防服の開発やその評価システムの立上げに携わる。2003年第一子出産し、翌年復職後、本社にて研究管理補佐業務を担当。2006年第二子、2008年に第三子を出産。その後、再び研究所に戻り、産業資材関連の商品開発業務に従事した後、2015年に現職である営業部へ異動。入社20年越えにして初めての営業業務を楽しんでいる。


帝人株式会社 http://www.teijin.co.jp/

現在の業務内容について教えてください。
営業部門に所属し、主にインフラ(土木その他)関連の原料となる繊維製品を販売しています。単に既存の繊維製品を販売するのみではなく、お客様のニーズを聞きながら、我々の製品をよりよく使っていただくための議論を交わし、製品を改良していくという開発営業的な業務も担っています。
入社された動機は?
大学で化学を専攻していましたので、素材メーカーで化学技術を活かした製品開発をするのが夢でした。私が入社した1994年は日本のバブル経済が破綻し、各企業が採用に消極的になり始めた最初の年。当時は今のようなエントリーシートというシステムは無かったので、担当教授を通じ、興味のある会社に面談のお願いをするという状況でした。帝人は、繊維素材、樹脂、フィルム、医薬など多岐にわたって事業を行っていることから、化学のバックグラウンドが活かせるチャンスがたくさんあると考え、面接の申し込みをしました。幸運なことに一番最初に受けた本命の会社であった帝人にて無事、内定を頂くことができました。
研究職から営業職へ、キャリアチェンジされたきっかけは?
帝人の国内繊維製造拠点の構造改革が行われた際に、所属していた研究所が組織ごと異動することが決まったんです。二人の子供がまだ小さいので、働き方の選択をしなければいけないかもしれないと思っていると、営業部門から、技術のバックグラウンドを持つ人財を営業部にて採用したいと声をかけていただきました。入社20年にして初めての営業職ですが、仕事自体はすごく楽しいですね。エネルギーに関わる分野なので、お客様も技術の部分を重視してご採用いただくことが多く、研究職のバックグラウンドを活かせることもあって、とてもやりがいを感じています。
これまで、どんな「壁」がありましたか?
2003年に生まれた長女は、先天的な病気を抱えていて、私が復職した1か月後にわずか1歳で天国に旅立ちました。その時はさすがに精神的にまいってしまい、「私にとって仕事と家庭、重要なのはどちら?」という命題を一気に突きつけられたようで、「もう仕事を辞めてしまおう」と思ったのはこの時が初めてでした。しばらく落ち込む日々が続きましたが、周りの方々の温かい励ましの言葉に支えられ、苦しい時期を何とか乗り切ることができました。その後、幸運にも二人の子どもを授かりましたが、第三子が超低体重出産児で生まれ、NICUに1年間入院。それでも退院後、わずか2か月で職場復帰しました。慣れない本社業務や、2度にわたる子どもの入院が重なり、この頃が一番しんどい時期でしたね。こんな状態で、まだ働き続けたいと思う自分は何だろうと、すごく悩みました。
仕事も子育ても苦しい状態。それでも辞めないと思ったのはなぜですか?
長女を亡くしてまでも、辞めずに続けた仕事なのだから、という気持ちもありました。でも、子育てをしながらの仕事は、やはり時間との闘いです。女性だからと甘えることなく、男性と同じようにやらなくてはならない、部下に弱みは見せられない、とずっと思っていたんです。そのつもりで戻ってきたのに、思うような働き方ができない自分に歯がゆさを感じたり、焦ったり。「こんなはずじゃなかった。もっとできるはずなのに」という思いが、頭の中でぐるぐる回っていましたね。

頑張って、頑張って、それでも5時半には帰らなくてはいけない。でも、その後にかかってきた電話は、誰かがちゃんとメモを残してくれていますし、周りは支えてくれている。家に帰ると、子どもたちの勉強やピアノのレッスンなど、お母さんにしてほしいと思うことは、私が優先的にしていますが、掃除や洗濯等どちらがしてもいい家事は、夫が空き時間やすきま時間に手伝ってくれています。

なんだかふと、一人で頑張れることって限界があるなと、そこで初めて、空回りしていた自分に気付きました。ここで家庭も仕事も回らなくなったら、どっちつかずの中途半端なことになる。事態はいつか好転するはず。周りの助けを借りながら、今できる精いっぱいのことを、一歩ずつ着実に進めて行こうと思いました。変なところに入っていた力が抜けた瞬間だったのかもしれませんね。

山元さんにとって、働き続けることの意味とは?
夫は同じ会社で働いているので、家の中でも仕事の話をすることもありますし、ニュースを見て、夫婦で経済の話をすることもあります。そうした価値感を共有する関係を続けていきたいと思っています。子ども達にとって親は、社会に貢献している姿を一番身近に見せられる存在。寂しい思いもたくさんさせていると思いますが、働いている私たちの背中をずっと見ていて欲しいと思っています。

人事総務部 ダイバーシティ推進室長の日高乃里子さん(左)と
「日高さんには、いつも勇気づけられています」(山元さん談)
働く女性に向けてメッセージをいただけますか。
育児しながら働くことは、物理的にできる量は限られてくるので、できないと焦って空回りしても仕方がないことです。いろんなシチュエーションはほとんどが一過性のもの。その時々に、「もうだめだ」と諦めてしまわずに、一度俯瞰することです。立ち位置を変え、「ああ、こういうことだったんだ」と第三者的に見ることは、育児しながら働くための大切なポイントだと思います。以前の私は、「力を抜く」ことは「手を抜く」ことと同じように感じていたと思います。でもそれは全く別のこと。「どうせできない」となってしまうと、それは諦めたことになるので、人間として成長できません。気持ちは諦めず、手を抜かず、でも力は抜く。自分ばかり頑張るんじゃなくて、他人を信じ、任せることは任せる。「働き続ける」というモチベーションをキープし続けられるかは自分との戦いです。

時には他人と自分を比べて、嫌な気持ちになることもあると思いますが、長い会社生活です。人生の分岐点に立った時、まずは「焦らず、比べず、でも諦めず」。人生を俯瞰するチャンスはたくさんあると思います。

ありがとうございました。

(取材:2015年10月/所属・役職名等は取材時のものです)

 

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interviewer
諸田 智美
特定非営利活動法人 女性と仕事研究所 代表理事
佐賀大学卒業後、1987年大手SI会社に入社。SEとして金融情報系システムプロジェクトに従事。退職後、キャリアチェンジにより、マンションリフォーム企画営業を6年、パソコンスクール責任者を6年経験。2006年1月㈱ネットラーニング入社後、2009年11月グループ会社㈱wiwiwへ。2014年4月まで、カスタマーセンター長として大規模セミナー企画・運営、広報等を担当。2014年2月に「男女ともにキャリアと育児の両立を実現するためのシンポジウム」を企画・運営。大阪では、2013年11月に第4回女性活躍推進フォーラムの企画・運営を担当。2014年5月から現職。
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